極楽山「天崇寺」は、浄土宗のお寺で、上杉謙信の時代から「長恩寺」と呼ばれ、歴代の領主に厚く保護されてきました。高田城蹴出門と同じ形と伝えられている山門は、市文化財に指定されています。明治21年、同宗極楽寺と合併し、極楽寺の「極楽」を山号に、寺号は、藩主松平光長の母親の天崇院・高田姫(三代将軍・家光の姉、初代高松宮寧子妃殿下の母)の院号に因みました。
本堂向かって左奥に高田姫と寧子妃の立派な御廟があります。寺領は代々「将軍家康からの朱印地」とされ、その恩恵は日本の近世で最大の飢饉とされる天明の大飢饉(1782~88)に飢民救済に働き、記念の天明地蔵が門前を飾っています。
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