高田瞽女の文化を保存・発信する会は、高田瞽女の街を全国に発信すると共に、斉藤真一作品や資料の受け入れや、高田瞽女資料館の設置の諸活動を行っております。
以下に活動の様子を記します。(H23.12.1)
高田瞽女の文化
先日の11月12、13日の2日間、上越文化会館で開催された“上越市市制施行40周年記念公演”では、広報じょうえつ12月1日号でも紹介されているように、約1300人の入場者を数え、大きな反響を呼んだ。中にはホームページで知りましたと東京など県外からの来場者も多数見られた。
また3年前から毎年行なわれている“高田瞽女の文化を保存発信する会”主催の“瞽女唄演奏会”や高田瞽女ゆかりの地を巡るバスツアー、斎藤真一絵画展などの参加者や来場者数を見ても、高田瞽女に関する関心の高さをうかがい知ることができる。
このことからしても私たちは今、ここ上越地方に400年以上前から受け継がれ培われてきた“高田瞽女の文化”を改めて再認識するとともに、北陸新幹線開業に向け、上越市の魅力の一つとして他の町が真似したくても真似できないこの“高田瞽女の文化”を広く発信する時期に来ていると思う。
瞽女は洛中洛外図にも描かれているように室町時代にはすでに全国に存在していたが、その中でも高田瞽女は他の瞽女と違い、親方が家を持ち、弟子と共に共同生活をしていたのがその特徴である。 幼い時から血のにじむような努力で瞽女唄を覚える。村の人々は修練の技を持つ瞽女に畏敬の念を持ち、瞽女唄を聞くことを無上の喜びとし、瞽女も自分の芸に誇りを持っていた。 明治の頃には高田の町に19軒の親方の家があり、約100人の瞽女が自立して生計をたてていた。 福祉という言葉すらない時代、社会的に弱者の位置にいた瞽女たちの生きざまは閉塞感に包まれる現代社会に、人としての在り方・生き方を問いかける。それは人と人との関係、精神の充足、経済一辺倒から脱した心身の充実感を求めるものであり、「人はいかに生きるべきか」の根源を問うことの価値を持っているのである。
幸いなことに高田には、杉本キクイさん(無形文化財に指定)の家や、瞽女寺天林寺、墓所などが ある。また上越地方のいたるところに高田瞽女ゆかりの寺や神社、瞽女宿や生家など現存のゆかりの地が多数残っている。親子二代に渡って高田瞽女を研究してこられた市川信夫さんの資料や、写真・映像・瞽女唄CDなど数多くの資料が上越市に残されている。 このことは“高田瞽女の文化を保存発信する会”が平成20年9月に発会してからの活動を通して急速に上越市民の認識するところとなった。また全国の人たちからみても、この高田瞽女の文化が上越市固有の文化資産かつ歴史資産であることも徐々に知れ渡ってきている。
斎藤真一
今年5月、高田瞽女のふるさと‐上越市に貴重な宝物が寄贈された。 池田敏章さん(北海道恵庭市在住)の斎藤真一コレクション160点である。 倉敷市立美術館、岡山県立美術館、伊豆伊東市、出羽桜美術館などの上位寄贈先4候補を抑えての上越市への寄贈実現は、平成22年7月に村山市長さんが中野教育長と中嶋総合博物館館長を恵庭市まで派遣し、働きかけをした事も影響してはいるが、何よりもその決め手になったのは高田瞽女の文化を保存発信する会という市民活動があったためである、と池田さんご自身が述べておられた。 もちろん斎藤真一の描いた絵の主題は瞽女だけではないが、画家の瞽女に寄せる愛情と哀愁は多くの人々の魂を揺さぶって見る人の心をはなさない。 それゆえ瞽女が描かれた160点の池田コレクションは、その活用一つで全国から人をひきつける地域の宝になりうる価値をもっている。 作品には、忘れてはならない大事なもの、消え去ろうとしている日本の心の記憶が一杯詰まっており、 これからも多くの人々の共感を呼ぶことだろう。 斎藤真一の絵の価値はまさにそのところにあるのであって金額の問題は二の次である。
池田さんのこころ
30歳のとき、京都の画廊で斎藤真一の瞽女の絵に出合って以来、63歳の今日まで生活のすべてを 斎藤真一の絵の蒐集と研究に費やしてきたといっても過言ではない。それは、絵のために24時間20℃に設定したエアコンを回し続け、食事の煮炊きや風呂などをすべて外でされてこられた3DKの自宅アパートを訪ねてみればすぐわかることであった。また斎藤真一に関する資料も並外れてそろっている。 そうして集められたコレクションを寄贈すると決められた心の底には、“多くの人に絵を見てもらいたい”というただそれだけの気持ちしか存在しない。今現在ローンで200万円を支払中の絵も来年7月完済時には上越市に追加寄贈されるという。 それゆえ寄贈の受け入れ側には、ありがとうございましたと後は収蔵して時々展示するのではなく、常にその一部でもいいから常設展示してもらいたいという条件がついている。受け入れ側は、その心をよく理解し、その期待に答えなければ、斎藤真一の絵を貰う資格が問われかねないのである。
また160点の図録作成にあたっては、その価値に見合っただけのものを作成すべきであり、制作金額などを最初からこれだけしかないと決めてかかることは失礼になってしまうのではなかろうか。
当初図録は、高田瞽女の文化を保存発信する会が池田さんを編集責任者にして制作を予定していたこともあり、斎藤真一の母校の東京芸術大学佐藤一郎教授から図録に掲載する原稿もすでにいただいている。もし上越市が図録作成をしてくださるとすれば、そのあたりも考慮して斎藤裕重さん(斎藤真一の子息)をはじめ池田さんや瞽女の会と協同して準備をしていただけるとありがたいし、池田さんもそう希望しておられることは聞かないまでも分かることである。
今後の活用
斎藤真一の絵画が、高田瞽女のふるさとに里帰りをした今こそ、それを上越市の活性化に活かさないほうはない。平成9年の上越総合博物館で開催された“斎藤真一展”の作品はほとんどが借り物であったが、いますべてを上越市の持ち物で展示開催できる時がきた。しかもすべて“本物で”である。
来年の夏頃に上越総合博物館で今回寄贈された作品をもとにした“斎藤真一展”を開催する計画も あがってはいるが、いまからどこに常設展示するかを考えていくことが必要であろう。トップダウンの意思決定が必要とされる時でもある。つまりはこぢんまりした高田瞽女資料館あるいは高田瞽女こころの美術館(仮称)を、瞽女に関係している町なかに、全国各地から来た方の第一歩を印していただく施設を造ることは、いま優先して取り組む価値のある政策である。維持費がどうのこうのというマイナス思考をやめて利益を生み出すというプラス思考で考えたいものである。(例:飯山市高橋まゆみ人形館)
施設の候補地として、高田瞽女の文化を保存発信する会が考える場所は、洋風建築でバイオリンが 似合う旧第四銀行ではなく、瞽女の親方が14軒もあった三味線の似合う高田小町周辺の町家-旧今井染物店の建物の裏がよいのではないかと考えている。
いま高田小町界隈で盛り上がっている市民活動(町家三昧、高田世界館、NPO頚城野郷土資料室、 NPO街なみFOCUS、よってきない、あわゆき組、越後高田雁木ねっとわーく、ほか…)との相乗効果も期待できるところである。
また高田瞽女という歴史資産は、高田の町のみならず、頚城三郡にまで広がっており、合併上越市として取り組むに値する観光資源である。さらには飯山市美術館で今年10月に1ケ月にわたる“高田瞽女企画展”を開催していることからしても長野県との連携も視野に入れられるところである。(高田瞽女は長野県佐久、上田のあたりまで“旅”をしている)
まとめ
高田瞽女の文化に対する認識をしっかり持ってもらう。
○上越の歴史的、文化的価値としての捉え方。
○高田だけでなく、頚城三郡も含めた上越市全体として発信できるものであること。
○いまなお多くのゆかりの地が残っていること。
○また上越だけでなく、長野県とも関係していること。
池田コレクションの上越市への寄贈にあたって、上越市としての誠意をしっかり示す。
○池田コレクションの真の価値と、その絵がもたらす高田瞽女への相乗効果の大きさの認識。
○きちんとした寄贈作品の図録を作成すること。
○常設展示できる資料館・美術館を関連する場所に造って、上越市全体の瞽女観光の拠点とすること。
○高田瞽女の文化を保存発信する会という存在と活動があっての寄贈だったことを踏まえて協働して今後の計画をすすめること。
平成23年12月1日
(H28.6.20 現在)
名称 | NPO法人 高田瞽女の文化を保存・発信する会 |
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所在地 | 新潟県上越市 |
設立 | 2009年 |
理事長 | 濁川 清夏 |
役員 | 理事 7名 / 監事 2名 |
事業内容 | 高田瞽女の文化を保存・発信する事業 斎藤真一とその作品を発信する事業 高田瞽女が住んでいた地域のまちづくりに関連する事業 上記事業に関連する物品の斡旋及び販売 |